日を遡りますが、友人と小田原に来ています。
今回はずっと来たかった場所へ。
小田原の山の中、一夜城(石垣山一夜城)に来ています。
友はヨロイヅカファーム、自分は一夜城。
ヨロイヅカファームはその駐車場前にあるので、双方の目的が合致した形です。
石垣山の頂上付近にあるので、景色が最高です。
相模湾を見渡せる所にあります。
ファームというだけあり、周りには畑があります。
レストランでは全部ここで取れたものなのか分かりませんが・・・。
小田原で取れたものを中心に地産池消している様子。
敷地内にはこのように動物が配されています。
よく見ると凄いな、これ。
全部木の破片で出来ています。
色んな動物がいるので、面白いです。
以上、ヨロイヅカファームでした。
ケーキやスイーツの感想?
ハテ?このブログにそれを期待してはならない・・・。
早くお城に行きたくて、目の端にも入らなかった。
パンはみっちり詰まって美味しかったとだけ記しておきます。
(友人が買ってくれた(笑 良いお値段ですが、本当に美味しかったのです)
超有名店スイーツが好きな方はオススメです。
何より景色の良い中で食べられる。
さて。
すぐ横の一夜城へ。
ここ、中世のお城好きとしては一度は見ておきたい所です。
城好きにも色々いますが、自分は構造や土台が好き。
なので天守閣や建物が無くとも存分に楽しめるタイプです。
しかもここは関東最初の総石垣の城。野面積みとは言えど、
これほどまでに当時の物が残されている所は珍しいでしょう。
南曲輪※から侵入します。
すぐに左手部分に道がありますが、石垣が崩れている感じです。
関東大震災でかなりの崩落があったらしい。
現在でもなかなか危険な一面もあるな。
※曲輪(くるわ)とは山などを削って平らにした区画。
盛ったりして平らに均したのも曲輪です。棚田をイメージすると分かりやすいかも。
稲を育てる水平の部分が曲輪。様々な種類がありますが、とりあえず。
曲輪の数は少なくて、堀切もあまりありません。
でもそれが当時の防備第一ではない「見せ城」の目的を感じられます。
しかし見せ城にしてもすごい規模。
延べ4万人で作業し80日掛かったと言われています。
完成したら周りの木を伐採し、まるで一夜で普請したかのように驚かせたとか。それが名の由来ですが。
そんなん・・・4万人て。事前に絶対バレていただろう。
井戸曲輪-馬屋曲輪-本丸曲輪と巡ります。
今日は寒くもなく穏やか。
木々の鳥の声が大きく感じます。
というか、すごい数の鳥がいます。実をついばんでいるっぽい。
展望台から小田原市街を眺めます。
今から約430年前、1590年に秀吉がここから小田原城を眺めたのだろう。
手前の山には大量の幟が乱立し、相模湾に軍船がひしめいていた、らしい。
総軍21万人がこの小田原を包囲したというのだからモノスゴイ。
水軍だけで2万って、船で海が見えない位だろうと想像します。
えーと、東京ドーム満員で5万人らしいから、それが4個分。
だめだイメージが湧かん。(東京ドームに行ったことがない)
その数の暴力・・・そりゃ降参するだろう。
秀吉はここで戦国時代の終わりを感じていたのだろうと想像できます。
参加武将や布陣を見ても、一つの時代の最後の戦という雰囲気。
史実で”連日にわたり宴会や茶会を催していた”とあるのは、
威迫ではなく既に打ち上げ気分だったのだと思う。
藤吉郎時代からの道筋を思い出してたのだろう。
時は過ぎ、そんな往時の面影を残すのは石垣だけ。
勝った方も負けた方も微塵の例外も許さず鬼籍に入り、夢の跡。
どんな人間も絶対に、必ず死ぬという純然たる事実にちょっと切なくなります。
歴史に触れる時、それを思い出すと現実に引き戻されます。
現実に戻った時、風や鳥の声がよく響くような気がする。
さあ。
城を降りて、周りも見てみよう。
南曲輪の外壁はかなりキレイな状態で残っています。
ここは見所だと思います。
一夜城、やっぱり素晴らしかった。
しかし430年間はどのようにして親しまれていたのだろう。
どのような位置づけでここに在ったのかが気になる。
古い城跡としてそのままだったのか。貴重な遺跡として保護されていたとか。
むむ、知りたい。
さて、お次は攻められた方の城へ向かいます。
続きます。