「シャクシャク……」
登山道に入ってずっと枯れ葉の上を歩く。
小気味良い歩き心地とは裏腹に、深い枯れ葉に潜む石とかあり
時々ツルリと滑ります(笑
何気に気をつけないと。
慎重に。
(確かこの辺りに・・・)
古い道というのは様々な人が通るだけあって、色んな事が起きています。
近代アルピニズムの冒険譚だけでは無いのです…。
少し脱線して・・・。
遡ること約430年前の戦国時代。
秀吉が佐々成政を攻めた際に、分隊の金森長近も飛騨国の姉小路(三木自綱)一族を攻めます。
城は落ち、姉小路は信濃で再起を図るため信州に逃げます。
しかし途中で追いつかれ、自綱の子、秀綱は非業の最期を遂げます。
(秀綱は途中で奥方ともうちょっと手前で別々に落ちのび、本当は信州で落ちあうことにしていたらしい)
一方で途中で別になった奥方は徳本峠を越え、この沢を下っていた時に樵に見つかったようです。
樵にしてみたら、山奥でお姫様のような人に突然遭遇したのだから、驚きは相当なものだったでしょう。
彼らは化け物が現れたと思い、木に縛り付け、身につけていた物を奪ったということ・・。
でもキツい山道ををやっと越えて、後もうちょいという所でとんでもない仕打ちです。
奥方は疲労や色々でそのまま息絶えたらしい。。
(この辺りで亡くなったらしいです・・)
いやさ・・もうちょっと話を聞いてあげるとか、見りゃ分かるじゃないかと思いますけど。。
しかしその当時は狸か狐が化けるというのが普通に信じられていた時代でもある。
情報量の少なさは怯えに直結する例です。
でもね・・怯えるにしても物を奪うって、強盗もいいところです。
言い訳にはならないな。
・・・。
自分もバイクに乗ってて夜中に山道でお婆さんに会った時はビビったな。。
いるはずのない場所にそうした人がいると怖いかも。。
でも仮にお化けだったとしても、そんな仕打ちは出来ないし思いつきもしないな。
まだまだ話の続きがあり・・・。
身ぐるみをはいだ樵たちはその後、業病に掛かりその病は代々続いたようです。
確かにそれだけの事をしたら祟りとなるに違いない。
後に奪い去った物を持ち寄り、神社を建立して恨みを忘れてくれと懇願したのです。
でも、その神社が建立されたのはなんと昭和の事。
なんでもっと早くに鎮魂してあげなかったのだろうと思いますが
ムラ社会で「あそこの家がやった」などと流布されたら村八分になるかもしれません。
そんな怯えもあり、こんな建立が後になったのかもしれません。
その時代や社会情勢ということがあったとしても・・・何もかも悲しすぎです。
この沢沿いの道に、その奥方の石碑があります。
しっかり手を合わせて鎮魂します。
時々人が訪れているようで、周りはこざっぱりしていました。
教科書に出てくるような派手な国盗り物語の裏で、
こうして埋もれていく悲話がいくつもあったのでしょう。。
その時に奪い去った着物や短刀等は
安曇資料館に現存、展示してあります。
北アルプスを登る人、山の暮らしに興味のある人、ここの展示は必見です。
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ベンチを見つけたので休憩。
疲れていなくとも、ちゃんと水を飲んで、息を整えます。
長く歩くので、積み重ねが大事。
まだまだ疲れなく、順調そのもの。
道は良く、とても歩きやすいです。
コース取りも、こうした木道も。
長く使われてる道だけあって、絶妙な所にステップがあったり、
掴まる物があったりする。
危険箇所はありません。
続きます。